AI の質問
いちばん古い記憶は、何歳のどんな場面ですか?
四つか五つだな。親父の作業場だ。溶接の火花が飛ぶのを、母親に抱かれて見てた。あれはきれいだった。……いま思えば、あれが最初に見た『光るもの』だ。時計の中も、光るんだ。似てるのかもしれん。
祖父
さくら こうぞう / 1932 – 2018 ・86歳
「手が覚えていることは、口より正直だ。」
長崎の造船の町に生まれる。十三で終戦を迎え、十六で時計修理の職に就いた。二十七で上京し、下町の商店街に小さな時計店を構える。以来五十二年、同じ場所で他人の時間を直しつづけた。無口だが、直した時計は必ず一日手元に置き、翌朝もう一度耳に当ててから客に返した。
よく言っていた言葉
1932年4月11日 ・0歳
誕生五人兄弟の三番目。父は造船所の溶接工。
佐世保・干尽町の家
1945年8月 ・13歳
人生の転機転機六月の空襲で家の半分を失い、八月に戦争が終わった。
佐世保・干尽町の家
この夏のことを、幸三は生涯ほとんど語らなかった。話したのは一度だけ、八十を過ぎてから孫に向かって、「音が消えたのが、いちばん怖かった」と言った。
1948年3月 ・15歳
人生の転機仕事十六歳。手に職をつけろと言われ、たまたま募集があったのが時計店だった。
松尾時計店
本人いわく「時計が好きだったわけじゃない。募集が出てたのがそこだけだった」。
1959年3月 ・26歳
人生の転機転機二十七歳。独立するなら東京だと決め、汽車で発った。
佐倉時計店
1959年6月 ・27歳
愛縫製工場に時計の修理に呼ばれた。三度目に呼ばれたとき、時計は壊れていなかった。
向島の縫製工場
1959年6月2日 ・27歳
家族その後、次女・三女が生まれる。
1959年11月23日 ・27歳
人生の転機家族出会って五ヶ月。幸三 27歳、ハル 23歳。
1961年3月20日 ・28歳
人生の転機仕事東向島の商店街。以後五十年、同じ場所に立ちつづける。
佐倉時計店
1968年8月4日 ・36歳
旅生涯で数えるほどしかない、店を閉めた日。
日光・中禅寺湖
1974年 ・42歳
その他家族には「立ちくらみ」とだけ伝えた。翌日には店を開けている。
本当の診断名を家族が知ったのは、四十四年後、遺品のカルテからだった。
1978年4月 ・46歳
人生の転機転機何も言わなかった。翌朝、玄関に新しい安全靴が置いてあった。
2011年9月30日 ・79歳
人生の転機仕事七十九歳。手が震えるようになったのを自分で認めた日。
佐倉時計店
閉店の理由を客に聞かれると「もう合わせられん」とだけ答えた。最後の一台は近所の中学生の腕時計で、代金は取らなかった。
2016年4月9日 ・83歳
家族人前で話したのは、生涯で三度目だった。
旧前田侯爵邸
2018年11月3日 ・86歳
人生の転機家族生後43日。四世代が同じ部屋にいた、最初で最後の日。
墨田の病院
2018年11月14日 ・86歳
別れ八十六歳。前夜、看護師に「明日、時計を巻いてくれ」と頼んだ。
墨田の病院
結婚式でのスピーチ
2016年4月9日 / 84歳。孫の式で。1分42秒。
AI 自動文字起こし
えー、あの、うまいことは言えません。……時計ってのは、狂うもんです。どんないい時計でも、置いておけば必ず狂う。だから、直すんです。合わせるんです。二人もね、狂います。合わなくなる日が、必ず来ます。そのとき、捨てないで、直してください。……直りますから。だいたいのものは、直りますから。以上です。
病室での録音
2018年10月21日 / 亡くなる13日前。3分08秒。
AI 自動文字起こし
(陽介)じいちゃん、しんどくない?……ん、平気だ。……なあ、あの柱時計な、お前が持っていけ。あれはな、店を出した年に買ったやつだ。……ゼンマイは週に一回でいい。日曜の朝。忘れると止まる。止まっても壊れちゃいない、巻けば動く。……そう、それだけだ。それだけ覚えとけ。
AI の質問
四つか五つだな。親父の作業場だ。溶接の火花が飛ぶのを、母親に抱かれて見てた。あれはきれいだった。……いま思えば、あれが最初に見た『光るもの』だ。時計の中も、光るんだ。似てるのかもしれん。
AI の質問
親父の葬式に間に合わなかった。店を開けてたんだ。……あの日、直しかけの時計が三つあった。それを言い訳にした。三つの時計と、親父の顔と、どっちが大事かなんて、聞くまでもない。それなのに、俺は手を止めなかった。……あれだけは、今でも夢に見る。
AI の質問
壊れたものは、たいてい直る。人も、家族も。捨てるのが早すぎるんだ、みんな。
AI の質問
……別に、覚えててくれなくていい。ただな、うちの孫が、なんか直そうとしてるところを見たら、ああ、じいさんもそうだったなと、それだけ思ってくれれば、それでいい。
AI の質問
佐世保に帰ろうと思った日だ。荷物もまとめてた。ハルが『帰るなら私も行く』と言った。それだけだ。それで残った。……いま思えば、あの一言で子どもも孫も曾孫も決まってる。人生ってのは、そんなもんだ。
佐倉 幸三(1932年長崎県 佐世保市生まれ・2018年没、86歳)の記録からは、直す・続けるという軸が最もはっきりと読み取れます。人生の向きが変わったのは 1945年の「十三歳で終戦を迎える」、1948年の「松尾時計店に住み込みで入る」、1959年の「上京」。記録全体を通じて最も多く現れる人物は佐倉 ハルで、最も繰り返し登場する場所は佐倉時計店です。記録は 1932 年から始まり、15 件の出来事と 12 点の記録が、15 の年にまたがって残されています。