AI の質問
辞めたいと思ったことはありますか。何が引き止めましたか?
四十のとき、会社が手抜きを黙認した。あれで一回、全部いやになった。……引き止めたのは、現場の若いのが『佐倉さんがいるから、この現場は大丈夫だと思ってました』って言ったこと。あれで、会社を辞めて自分でやるって決めた。辞めたくなくなったんじゃない。辞める先が変わったんだ。
父
さくら せいいち / 1959年 —
「figure it out. とにかく現場に立て。」
1959年6月2日 ・0歳
誕生時計店の長男として。
佐倉時計店
1978年4月10日 ・18歳
人生の転機転機十九歳。型枠大工の見習いとして最初の現場に立つ。
1987年10月 ・28歳
愛共通の友人の結婚式。二次会で隣の席だった。
1988年3月7日 ・28歳
家族江戸川の団地、四階。
江戸川の団地
1989年2月5日 ・29歳
人生の転機家族生涯で一度きりの海外。
ワイキキ
1989年4月 ・29歳
仕事三十歳。バブル最盛期、月の休みは二日だった。
1996年5月5日 ・36歳
家族以後三十年、同じ堤防に通うことになる。
勝浦の堤防
2001年7月2日 ・42歳
人生の転機転機四十二歳。勤め先の手抜き工事を見過ごせなかった。
2018年11月14日 ・59歳
人生の転機別れ最期の三日間、現場を全部止めて病室にいた。
墨田の病院
誠一が仕事を自分の意思で止めたのは、この三日間だけ。「親父も店を二回しか閉めなかった。血だな」と後で笑った。
2024年6月2日 ・65歳
仕事残りの半分は孫といる。
AI の質問
四十のとき、会社が手抜きを黙認した。あれで一回、全部いやになった。……引き止めたのは、現場の若いのが『佐倉さんがいるから、この現場は大丈夫だと思ってました』って言ったこと。あれで、会社を辞めて自分でやるって決めた。辞めたくなくなったんじゃない。辞める先が変わったんだ。
AI の質問
手を抜いた場所は、十年後に必ず出る。建物も、人間関係も同じだ。それだけ覚えとけ。あとは好きにやれ。
AI の質問
親父だな。家業を継がなかったこと、一度も謝ってない。……向こうも一度も責めてない。安全靴だけ買ってきやがって。あれはずるいよ。あれで、こっちは一生謝れなくなった。
佐倉 誠一(1959年東京都 墨田区生まれ)の記録からは、手を抜かないという軸が最もはっきりと読み取れます。人生の向きが変わったのは 1978年の「建築の道へ。家業は継がなかった」、1989年の「美和と結婚。新婚旅行でハワイへ」、2001年の「独立。佐倉工務店を興す」。記録全体を通じて最も多く現れる人物は佐倉 美和で、最も繰り返し登場する場所はワイキキです。記録は 1959 年から始まり、10 件の出来事と 9 点の記録が、13 の年にまたがって残されています。